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政信師範の作品展
会員能面展
◇教室ご案内◇
場所:信若能面工房
曜日:土曜、日曜
時間:午前10時〜午後4時
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能の演者は、面を「おもて」と呼び「おもてをつける」とか「おもてをかける」という言い方をします。 従って、能面を彫ることを、「おもてをうつ」と言います。
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神話から
能楽を大成したといわれる、世阿弥の「風姿花伝」の中には、神代に天照大神が天の岩戸にこもられ世の中が真っ暗になった時、八百万神(やおよろずのかみ)達が、天照大神が再び岩戸からお出で下さるよう、天の鈿女の尊(あまのうずめのみこと)が、先頭に立ち神楽を謡い舞ったのが始まりであるとしています。
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能とは?そもそも、能とはどんなもの?
その昔、奈良、平安時代から庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲や、神への奉納の舞が集大成され、能となったのは、鎌倉時代後期から室町時代前期と言われます。民衆の芸能が、室町時代に盛んになった禅宗や水墨画などの影響を受け、また、幕府や貴族階級に保護されて、洗練されていきました。
能の大成者・世阿弥(ぜあみ)は、日本の演劇史上、最も重要な人物のひとりです。世阿弥が、独自の芸術論である「風姿花伝」を著したのは、シェークスピアが登場する200年近くも前のこと。その芸術論は、現在でも、思わぬところで私たちの生活に影響を及ぼしています。
能面とは 能役者がつける面にはどのような意味が?
能は、能面を身につけて行う、一種の仮面劇です。能面の基本型は、約60種、今日では、二百数十種あるといわれています。
仮面をつけ、顔を覆うことは、化粧と同じように人の変身と関係するといわれますが、能面は、扮装の道具という以上に、能役者に一種のパワーを与える呪物の要素があるといわれます。能面は、「おもて」といわれ、曲の位(くらい)を支配するほど能楽師にとって重要なものなのです。ほとんどの場合、能面には役専用の面はなく、演目によって種類が決められています。最終的にどの面を使うかは、シテに任され、使用できる面から選ばれます。
・能面の始まり
能面が、どのようにして発生したのかは明らかではありませんが、今日のような名称の能面が完成したのは、室町中期から末期にかけてと考えられています。それ以前の能面は、まだ様式化されず、宗教性が強いものでした。室町中期から末期にかけて、能面は、宗教的な意味を持つ役柄だけに使用されるのではなく、実在の人間を表す場合にも使われるようになります。これは、能の演劇表現が、「幽玄美」を重く扱い、美的表現を強く表すため、顔の表情変化や、顔の衰えの醜さを隠すことが求められるようになったためと考えられています。
室町末期から近世にかけて、能面を作る面打ちが、世襲の家の「芸」として確立されます。越前の出目家、近江の井関家などが有名です。世襲の面打ちが登場することにより、能面の様式化が益々進みます。現在でも、能面を作る面打ちは独立した職業であり、能楽師で能面を打つ人もいますが、ほとんどの場合、互いに独立した存在となっています。
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能面の種類
翁系(おきなけい)
大和朝廷が国を統一していく過程で、各地の諸族がその従順の心を捧げる印に神楽を舞った。その時一族の長が舞い寿詞(よごと)を述べたのが翁舞の源流とされています。能面の中では最も最初につくられたといわれています。従ってボウボウ眉や、切り顎等他の面には見られない特徴があります。
日本書紀によれば、五三九年即位、天下が疫病や、飢きんが発生した時、六六番の物まねを、六六の面を作って舞ったところ、天下が治まった。また村上天皇の頃六六番は長すぎるので、稲経(いなつみ)の翁=翁、代経(よなつみ)の翁=三番叟(黒式尉)、父の尉を用い、「式三番」としました。
その後鎌倉時代にはいり、延命冠者の役が増える。これらの面は全て、天下泰平、安全、五穀豊穣、および家門の繁栄、子孫繁栄、そして長寿の祝福をもたらす神とされる。
女系(おんなけい)
その源流は奈良・平安時代の伎楽面、舞楽面からと言われていますが、この頃の面は写実的で仏像や絵画から写したもので、幽玄の美はありません。ようやく室町時代末期になって、能曲の主人公である、性格を表現できる面が形成されてきました。
それは象徴的で、幽玄化されたもので、現実の女性の顔とはずいぶん違い、1つの面で能曲の中の喜怒哀楽の感情を全てあらわすことのできる観客の心をゆさぶる格調高い芸術として完成されていきます。
そこには禅が大きく影響を与えています。
男系(おとこけい)
男系も女面とおなじく、写実から象徴性に変わっていくなかで形成されてきました。
若い貴公子や、公達をあらわす優雅な面と現存した頼政や敦盛にしても、生きた人間より超人間的な神や怨霊として表現される面に変遷していく、これは庶民の猿楽芸が、王朝、貴族文化へと世阿弥によって能楽として大成されていく過程を、面についてもそれを見ることができる。
尉系(じょうけい)
一般に、能では男性の老人の面を、「尉」とよびますが、尉の文字は火斗(ひのし)アイロンのような物で、布の皺をのばす意味から、天下を安んずと言う意味になりまた「尉」はその中の衛府の三等官に用いる字で室町末期から使われるようになり、「尉」は「丈」が正しいのではと言う意見もあり、定かでは無いが、「尉の位の楽人の舞う年寄り」から老人と「尉」が結びつくようになったとも、言われる。
翁の脇能の曲目に使われ、翁の祝賀をさらに具体化した面とも。尉も人間以上の神や精霊を具象化した面。
怨霊系(おんりょうけい)
怨霊面は、その字のごとく、うらみをもって、生きている者にわざわいを与える死霊、または生霊。
冥土から現われる幽霊の面、また嫉妬に狂って、その恨みをはらそうとする面。「般若」は般若心経でよく知られるとおり、智慧と訳し、あらゆる物事の本来のあり方を理解し、仏法の真実の姿をつかむ知性のはたらき。最高の真理を認識する知恵。でもあります。
神霊系(しんれいけい)
神霊とは神の面であり、上記の怨霊に取り付かれない為、その怨みの霊魂を神として祀り、それを鎮静化しようとする意味。また武将の亡霊、怨霊にも使われ、いずれも人間を超えた霊力をもつ、また泥眼は女人が成仏して菩薩になった面、や不動明王を面にした不動、金剛蔵王権現を写した蔵王などもある。
鬼神系(きじんけい)
能楽の前の猿楽、田楽とよばれていた南北朝時代にさかのぼり、鬼が登場する舞いが舞われており、、動物や鬼を演ずる時は、かならず面をつけたと言われる、仏教伝来以前(六世紀半ば)には鬼とは大人のことで、巨人の意味であったものが、山や川には恐ろしい鬼が居ると信じられていた。疫病その他の災難を起こす災いの鬼として追い払われる鬼の面と、逆に追い払う方の鬼面があり、年末や四季の変わり目に、特に節分2月3日は一年がこの日を境にしてかわる日と考えられていた為、翌日を立春として、その前の晩に、「鬼は外、福は内、と」うたいながら豆まきをします。これは今日でもうけつがれています。その時にかぶる鬼の面は、上記の邪悪なものを追い払う、鬼神で威力の強い神であるという。
狂言面(きょうげんめん)
狂言という文字からすると、狂人の言葉ととれますが、もともと冗談や、戯言の意味で、猿楽と呼ばれた時代には滑稽なものまね芸であったが、江戸時代の幕府の式楽(武家の儀式に用いる意味)となり、更に洗練され格調の高いものになっていった。
面は福の神のような、夷や大黒、また鬼の閻魔大王や雷の鬼の面や狐や猿の写実的な面もある。
また蚊は具象化できないので、その精霊として嘯(空吹き)うそぶきの面を用いる。
郷土面(きょうどめん)
全国各地には、その昔、その集落ができた時点でまず、その地の神社やお寺に、まず神様に楽しんでもらおうと、その地の彫師が面を創り奉納したと思われます。、そして更に面をかぶることにより、神や仏の降臨をうながし、また舞い手自身が神、仏の神通力を得ることや、神仏への祈願にも使われたと思います。
鬼面(おにめん)
鬼面は大変古く、太古の昔から、各民族は人知の及ばない隠れた存在を、鬼として、恐れまた崇めてきました。
鬼には、悪霊を追い払う鬼と、追い払われる鬼があり、また神としての一面もあります。最も古く上記郷土面も最も多いのが鬼面であろうと思われます。
創作面(そうさくめん)
龍神@(りゅうじん)風神(ふうじん)雷神(らいじん)
獅子頭 (ししがしら)
全国には数百以上の獅子舞が今も継承されています。獅子頭(ししがしら)をかぶって行う舞のことを獅子舞と呼んでいます。
唐から伝わり、一人で舞う舞と二人で舞う舞があります。伎楽、舞楽で用いられましたが、のち太神楽(だいかぐら)などで行われるようになりました。
五穀豊穣の祈りや悪魔、鬼(邪心)を払い清めるとされています。
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